地方創生の前に思うこと

私生活や地方自治に対して思うことなど

新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金について②

お金が用意されても実際に地方団体が何に使うかというのが非常に重要になってくるのは言うまでもないが、先の見えない中で何に使うのが正解かとも言えないのが実状である。

国としては1次補正の部分の6割が休業支援に使われているということに嘆いていたが、地方団体の言い分としてはなかなか厳しいということであろう。実際に目の前に困っている業者や事業者がいてそれを助けるためだけにお金を配ってしまうのかもしれない。

ちなみに、配るだけなら自主財源を使っても問題はない。普段から地方税を賦課して徴収を行っているのは地方団体であるから、その税金を使って地域のためにできることをしていくのは地方自治の原則である。

余談ではあるが、地方創生も本来であれば地方分権の思想からできている。地方分権は、国は最小限の国防、外交、社会保障だけ行い、残りのすべては地方の自主財源を用いて地方が行うといった考えから来ている。それを突き詰めれば終局的には国税を殆ど無くして、地方税の率を上げたり税目を増やしたりして対応していくことになると思われるが、本当にそれをやりたいと思っている地方公務員やできる地方公務員はどれだけいるのだろうか……。

閑話休題。今回の交付金に事例としていろいろと国が例示してくれてはいるのだが、地方には人材がいない。そのため、それを行えるという人材や企業もボランタリに集めることになっている。

地方創生推進交付金本体についても同じことを言えるのだが、国が人材や企業の審査をするわけではないので、人材や企業などの品質は保証されていない。言い換えれば手を挙げれば誰でもリストに加えられ、「○○伝道師」みたいな役職の名前を貰えてしまう。

国の言い分としては、「地方のためにここまでやってあげているのだから、あとは自分でなんとかしろ。」ということであると思われる。地方公務員だって仕事でやっているのだから、人や企業の力量を見極めてから事業を進めるのは当然のことだ。

ただ、実際としては地方団体のレベルにもよるが地方公務員にそういった人材や企業を評価するような能力もないことが多い。とりあえず国の金だからやってみるかで事業を始めて、結果として何にもならないことが多々ある。しかも、それを始めた人間は事業が評価される頃には異動しているため、事業の実態とは無関係に事業を始めたということだけで評価され、評価が上がり、事業が失敗した際の後始末を行う人間は残業代ももらえずに後始末をしていくような実状もある。

下手に考えなしに新しい事業を行うよりも、お金を配るだけの方が結果的に地方経済に対しての効用が大きいというケースが生まれてしまう余地があるのが難しいところである。地方団体には、同じお金を使うのであればどう使えば一番効用が大きくなるかしっかりと考えてから動いていってほしい。