地方創生の前に思うこと

私生活や地方自治に対して思うことなど

今週のお題「好きなお茶」

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紅茶(photoAC様より)

今週のお題「好きなお茶」

 

一時期、職場のお茶会のお茶にこだわっていた時期があった。

 

お茶といえば世界各地でいろいろなものがあるが日本で飲まれているものといえば、緑茶、ウーロン茶、麦茶、紅茶、ほうじ茶などがメジャーなのだろうか。

また、一部でチャイとかマテ茶なども需要があるのかな程度の認識しかできていない世間知らずな私である。

 

日本でメジャーとされるお茶の中でも、一時期やたらと紅茶にこだわっていた時期があった。

理由はとても単純で「ああっ女神さまっ」の中で紅茶が出てくる話があり、影響を受けやすかった当時の私は紅茶に詳しい男ってオシャレっぽくて素敵だなと思ってしまったため、紅茶についてネット検索をして、少し知識を集めた記憶がある。

 

紅茶の種類については、産地によってダージリン、アッサム、ウヴァ、キームンなどに分別され、摘む時期によってファーストフラッシュ、セカンドフラッシュオータムナルに分別される。

 

一般的に流通しているティーバックの紅茶は、ブレンドされているものが多くなると思うが、かつての某インスタントコーヒーのCM風に言うと「違いが分かる男」としてオシャレさを追求するために、休日にわざわざ家から自転車で片道30分以上かかる最寄りのルピシアまで出向き、摘んだ時期が異なる茶葉を買って帰った記憶がある。

それぞれを淹れて飲み比べてみると確かに味に違いがあり、自分の好みとしては王道のセカンドフラッシュが好きだったと記憶している。

 

当時は茶葉にこだわって頭が固くなっていたのでストレートティーだけの味を気にしていたが、紅茶自体にはフレーバーティーやミルクティーなどの楽しみ方もあるため、途中から無駄に敷居を高くせずに気楽に紅茶を楽しんだ方がいいなという考えに変わっていった。

 

そもそもお茶会の資金が潤沢でその中でもうまくやりくりしていたため、ルピシアで紅茶を買うことができていた気がしている。ルピシアのお茶は確かにおいしくて好きではあったが、日常で飲むならコスパの高さから考えて、リプトンのイエローラベルで満足してしまっている私ガイル。

 


 

サボることの重要性

今週のお題「サボる」

 

「サボることはただ怠惰なだけではない、生きていくために必要な要素である。」

と外国の名言を和訳した風の台詞から始めてみる。

 

所属している組織の管理部門で仕事をしていた時に、いろいろな部署ともめることがあった。

 

その度に、その部署の課長などから直接電話がかかってきて「こっちは事業を抱えているんだ!」とか「こっちは30年前からこの方法でやっているんだ!」との苦情をもらうことがあった。

 

事業を抱えているから管理部門に迷惑をかけていいというロジックは分からなかったが、30年前からその方法でやっていて、自分が担当になるまではその部分に対して指摘がされなかったということは、管理部門の怠慢かもしくは配慮から生じた事象だと考えられる。

 

言い換えれば管理部門が単純に仕事をサボっていたこととも捉えられるが、組織内をうまく回していくためには、そのあたりをきっちり詰めるよりは、角が立たないようにゆるくやっていった方がいいという判断をしたうえで手を抜いていたとも考えられるということである。

 

2年前の私であれば、そのあたりの妥協はしなかったのだが、今の私だとそれをしてしまうのだろうと思っている。

 

もちろん、組織に重大な損失やリスクを与えるような事象であれば、管理部門としてはそこに関しては手を抜くことを許されないという認識はある。

 

ただ、そのあたりの意識のすり合わせが行われていない組織の中では、管理部門が真面目に仕事をすることを煙たがる人間も多く、組織全体のレベルが低いこともあって、管理部門以外の管理職がパワハラ全開で攻めてくることもあった。

 

現状、殺されていないので、今日もこうやってブログを書けているが、実際に職員から内線電話がかかってきて、「殺すぞ」くらいの脅しは受けたこともある。

 

当時は、それらを含めて全て粛清してやるといった固い決意を胸に仕事をしていた。どちらかといえば組織を叩き直す意味で、サボるの語源のサボタージュに近い活動をしていたとも言える。

 

そのサボタージュのためにアホみたいにサビ残をしていたが、現在はそこまでの熱意がないかもしれない。

 

それをやったことで、評価が得られるわけでもなければ報酬が得られるわけでもないからである。

 

願わくば、そういったリスク管理能力が評価され、マネジメントやコンプライアンスに目を向けられる組織になってほしいと考えているが、多分10年後も大して変化しないであろうと思われる。多分、訴訟を受けて初めて気づくくらいのポンコツな組織なので。

 

私自身としては、自分のメンタルが危なくなったら適度にサボって切り抜けていきたい。

今週のお題「やり込んだゲーム」

今週のお題「やり込んだゲーム」

 

私が一番やり込んだゲームはMHP2G(モンスターハンターポータブル2ndG)である。2000時間くらいはやったと思われる。

 

当時は就職活動中だったと記憶しているが、六本木ヒルズでのインターンで苦言を浴びせられ、社会の厳しさを痛感して就職を諦めかけていた私は、暇を見つけてはPSPを起動してソロで様々なクエストを回していた。

 

当初は、武器や防具を作るために集めたい素材を落とすモンスターやクエストを選んで狩猟を繰り広げていたが、それが一段落してからは武器を収集することが目的になってった。

 

武器をコンプリートすると"次は防具"となりそうだが、防具の方はすべての種類を持ちきれないことから、途中から目的をほとんど見失っており、義務感でゲームをするためにゲームをするという状態になっていた。

 

そもそもゲームとはゲームを楽しむためにやるものであろうから、楽しめているうちは何かを間違えている状態では無いはずなのだが、苦痛を感じながらもPSPを起動してしまっていた状態は、正常ではなかったかもしれない。

 

また、当時の私はひねくれていたため、流行していたニコニコ動画に乗れない人種であった。そのため、Youtubeの動画を参考にして立ち回りを学び、それなりに腕を磨いていた記憶がある。

 

それでも実力はネット上にゴロゴロいるプロハンターの方々の足元にも及ばなかった。また、それゆえにRTAを行うといった発想もなかった。

 

そもそも、PSPをネットにつなぐ環境が整っていなかったため、リアルの友達がいなかった私はソロでやらざるを得なかった。

当時は秋葉原にリアル集会所なるPSPの充電器が用意されていた施設があったような気がしたが、そこまでの交通費もケチっていたため、ゲームを通じて友達を作るということもしなかった。

ただ、それでもそこまで嵌ってやり込めるというのは、モンハンの魅力なんだろうなと思っている。

 

また、それだけモンハンをやりながら、当時の公務員試験の筆記に関しては裁判所事務官(Ⅱ種)と某県庁には受かっていたので、気晴らしとしては機能していたのだと思いたい。

 

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安いニッポン「価格」が示す停滞(日経BP)

本書の内容としては

①日本の安さについて諸外国のビックマック指数に近いものを例示しながら解説

労働生産性に触れながらなぜ日本が安くなったのか解説

③安さゆえに日本の土地や技術などが買われている事実提示

④最後に安いニッポンの未来を考える

といった構成になっている。


日本の中で育ち海外を見ないでに育ってきた私としては、海外との賃金格差や物価の違いをあまり気にせずに生きてきた。親世代と同じような考えで、日本がまだ経済大国だと漫然と妄信していたため、新鮮な内容であった。


まずは日本の物価について、メーカーの出荷価格の引き上げは何回か行われているが、日経POSデータベースではこの20年間日本の物価はほとんど変わっていないというデータや、その反面でアメリカでは物価が毎年2パーセントずつ上昇してきたことがあげられており、日本はこの30年間賃金が全く成長していないこともあり相対的にどんどん安くなってしまったことが示されていた。

 

次に、日本の労働生産性について。生産性とは商品価格によって変化するものであり、同じ時間をかけても生産した商品価格が安ければ生産性は低くなることもあげられていた。
確かに仕事をしている中で生産性を求められても、生産性の高い国の人間が我々の二倍速で仕事をしているようには思えなかったので、何かしらのカラクリがあるのだろうと思いつつも特段調べることはしていなかったため、生産した商品価格が安ければ生産性も下がるのだと納得できた。

日本の労働環境についても触れており、日本の初任給もウイリス・タワーズワトソンの調査では14ヶ国中下から4番目(スイス、アメリカ、ドイツ、ノルウェー、フランス、スウェーデン、イギリス、アラブ首長国連邦、韓国、シンガポール、日本、台湾、中国、タイの順)であり、平均賃金もG7の中では最下位となっていることや「日本は給与よりもやりがいを重要視する文化だ」という主張もあるが国土交通省の調査では仕事に対しての「賃金・給与」「労働時間」「仕事のやりがい」も余暇の「居住スペース」「住まいの周辺環境」「レジャー・余暇」に関してもドイツ、イギリス、フランス、日本の中では最下位となっていることも示されていた。

 

そして、外資マネーの流入によってニセコが買われ、技術がある企業が買われ、お家芸であるアニメの人材も買われていること。

 

また、安いニッポンの未来の一つとして、水産物の世界の消費量が急増する中で買い負けが起こり、刺身の価格が高騰し手が出せなくなることなどが挙げられていた。

帰結の部分では、コロンビア大学教授の伊藤隆敏氏の「日本の『安さ』は、いずれ日本に返ってくる」というのが印象的であった。

 

職場の先輩からは「最近の若者は何に金を使っているんだ?」と質問されることもあったが、娯楽に使う金はもとから無かったのだと思われる。

職場はほぼ年功序列なので、なんでこの人が自分より高い給与をもらっているのだろうと感じる時も多々あるが、そういった給与体系も見直されるべき時期に来ているのかもしれないと気づかされる一冊であった。

 


 


 

イチゴに関する研究

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いちご(photoAC様より)


今週のお題「自由研究」

 

小学生の時に自由研究としてイチゴを題材とした研究をしていたころがある。

夏休みにパパっとやったものではなく、1年半くらいかけてやっていた記憶がある。

 

小学校の先生に言われるがまま、研究のテーマをイチゴにしたのだが、イチゴといっても種類はいろいろあって、最もポピュラーなイチゴ(オランダイチゴ)や近隣の山に自生していたクサイチゴ、モミジイチゴヘビイチゴ、カジイチゴ、たまたま近所の住人の家に植えてあったブラックベリーなどを調べるといったものだった。

 

もちろん、公立の小学校だったので研究費用などは下りるはずもないし、親に協力してもらうにも限界があったため、その中での趣味レベルでの研究を行うという話であった。

90年代の当時は物を調べる際には書籍が一般的で、インターネットというものが一般人の間に広まってはいなかった。もちろんあるにはあったのだが、イチゴに対しての情報が今のように豊富にはなかったであろう。そのため、採取してきたイチゴを図鑑で調べて、このイチゴはこういった特徴があるから○○イチゴだなどというところから研究を始めていった。

 

採取したそれぞれの個体の粒の個数や種子の個数、日当たり状況による甘さの違いなどを調べていた記憶がある。

種子の個数については身をつぶして、種子だけを抽出した後で中身のある種子と中身のない種子に分けてそのパーセンテージも出していくといった凝った作業をしていた。

 

あとはオランダイチゴの生態や栽培方法なども近所のイチゴ農家さんに教わりに行った記憶もある。その時にいろいろと教わったイチゴハウスのあった農地も数年前に賃貸アパートになっていて時代の流れを感じたというか、現実を突きつけられているような気がした。

 

今の人生にそれが生きているかといえば多分全く生きてはいないが、今としては、ああいったゆっくりと何かに取り組む時間というのも大切だったのかなと思う、というか思いたい。

コロナ疲れ

最近、無性にイライラしてしまう。

暑さもあるが、自粛生活が長くて疲れているのかもしれない。

どうせ自粛しているんだからと資格の勉強を始めたのも、メンタルに対して悪く働いているのかもしれない。

結局、地元にいたときと同じように職場と家の往復になり、仕事と勉強をしているだけの生活になっている。

前に同じところに派遣されていた人間は、多分もう少し遊べたのだろうけど、コロナだからどうしようもないんだろうなぁ。

疲れてくるとたまにあるのだが、何を目標に生きているのかもわからなくなってきてしまった。

ウォーキングや筋トレをしてメンタルの改善に努めたい。

わたしとインターネット

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

 私がインターネットと関わりをもったのは2002年であったと記憶している。

 当時は個人サイトがメインであったと思われる。私としては、CG定点観測2ちゃんねるを回るのが日課であった。

 SNS全盛の今となっては、比較的主流から外れてしまった感のあるブログなども、2002年当時にもあるにはあったようだが、国内サービスが出そろっていなかったため、インターネット上で発信していた人口は今よりは格段に少なかった気がする。

 20年近く前のことなので、当時何を考えて毎日インターネットをやっていたか記憶があいまいだが、2ちゃんねる関連ではAAやコピペ、それから派生したFlash作品などを楽しませてもらっていた。

 今のSNSだとコピペという文化はあるのだろうか?少なくともTwitterでは無さそうだ。Flashもサービスが終わったから無いだろう、技術革新により転送速度が上がり通信料金も下がったこともあり、動画が主流になっているのだろう。

 当時はデータの転送速度にも限界があったため、やはりテキストサイトとか2ちゃんねるのような掲示板で文字で自己表現を行う場が多かった。もちろん発信者のほとんどが素人であり、その素人たちが膨大な数の発信をする中から、コピペとして残るような共感性や伝播性を備えたものが生まれてきたのだと思われる。

 また、主旨からずれるが2ちゃんねるをやっていて感動したこともあった。アニメ実況などで同じ時間に同じアニメを見ている人たちのコメントがスレに書き込まれていき、ネットの先に本当に人がいるんだなということを感じられたことがとても新鮮だった。世界を感じることはできなかったが、日本各地がインターネットで繋がっているんだなと、インターネットという技術に震えた時でもあった。

 もうそろそろ、インターネットと関わりをもってから20年も経とうとしているが、当時から今にかけてインターネットに対しては基本的には受け手である。昔はもう少し主体的に参加したいとか、何かを作りたいとか考えることがあったのだが、仕事のストレスからかあまり何かをしたいと思う感情は薄れてきている。

 2ちゃんねる発のオフ会でオフラインの世界で知り合いになった方々とも、連絡を取ることがほとんど無くなってきており、当時のインターネットで見ていたものがだんだんと見えなくなってきているが、余裕ができたら思い出に耽る時間を取り、インターネット老人会をやってもいいかなと考えている。